ロストジェネレーション

あまりうまく語れなかったけれど、こういうことを言いたかったのだと後から思ったことも含めて箇条書きで。

●ロストジェネレーションは、2007年時点で、35歳〜25歳だった世代。
●つまり「『はじまりのおわり』と『おわりのはじまり』」である「一九七二」年生まれから、「一九八二」年生まれまで。ホスト役の森山さんが前者で、私は後者。この世代同士だと、何か通じる価値観のようなものがあるのではないかと私は思う。
●ロスジェネとひとくくりにされることには違和感がある。朝日新聞は、この世代が「2000万人」弱いることから決してではないと指摘している。が、ここで問題にされているのは、高学歴者の就職問題だけ*1。というか、ロスジェネ問題というのは、高学歴者(一流といわれる高校や大学出身者)の就職問題のこと。
●「ロストジェネレーション世代」というくくりは、学生運動に実際に関わった人間はその世代の2%ぐらいしかいなかったらしい「全共闘世代」をひとくくりにしてしまうくらい乱暴なことではないのか。
●また、同世代に対しても、違和感を覚える点はいくつかある。
●たとえば、就職活動や就職意識について*2。きわめて大ざっぱな言い方をすれば、自分のやりたいことが明確にある人は「自分のやりたいことができる会社」を希望し、そうではない人は自分の価値がより高く思われるような企業に就職することを希望する。が、しかし、そうは問屋が卸さなくて…。
●いわば「就職を、仕事を通して自己実現をすること」が正義になっていた。やりたい自分、なりたい自分になることが正義だという風潮があった(いまも、ある)。
●フリーターという言葉も職種も、「人生のプライオリティーを、仕事に置かない。プライベートに置く」からこそ、被雇用者(フリーター自身)にとっても都合のよいものとされたのだけれど、いつのまにか、それが……。
バブル崩壊で「大企業といえども一生安泰ではない」と思い知らされた頃に物心ついたのに、いざ自分が就職するとしたら、「寄らば大樹の陰」か、もしくは「ベンチャーで一発当てる」ことを選択する。人生のプライオリティーを、プライベートよりも仕事(というよりも実際は「名刺」)に重きを置くのが、私には不思議。
●そういう同世代や、いわゆる同世代の2チャンネラーやブロガー*3について違和感は、結構ある。
●教養がないだとか厚顔無恥だとか(自分も含めて)。あるいは、彼らの言葉が、頭で考えただけで、体を通していないということ(だから感情だけが、あるいは論理だけがつっぱしって、そこに血の通った形跡があまりみられないから、独りよがりになってしまう)とか。
●ただ、だからこそ、希望はある。私にとって「希望」とは戦争によって階級間格差がなくなることでは当然ない。
厚顔無恥だし、無教養だし、歴史性が欠如している、この世代は、なんか面白いことをするんじゃないか。他人を「オマエモナー」と冷笑したり皮肉ったりする、その視線を自分の方に向けることができたら*4
 

*1:秋葉原の事件でも、犯人が地方の進学高出身者であることがクローズアップされた

*2:詳しくは、ブログでは書きません

*3:書物系ブロガーじゃないよ。政治とカ経済とか社会について、自分の身近じゃないところから語る人たちに対して

*4:これに続く文章も考えたけど、ここで書くのはもったいないので書きません