部屋を少し片付ける。片付けるといっても、部屋に置いてあるものの量は変わらないから、意味ないといっちゃあ意味ないのだが。


掃除中に、NHKの集金人がやってくる。
「何時来てもいらっしゃらないから、今日もいらっしゃらないかと思っていましたよ。ルーチーンワークっていうんですか、いつもいつも来て、ピンポーンと押しても、いらっしゃらない。でもこれが私の仕事ですから、来る日も来る日もピンポーンして、受信料を徴収するのが……。お仕事が忙しいのはお察ししますよ。それで、●●さんの場合、ここ数か月分……」と、ベラベラしゃべる。朝から不愉快な気分になる。
不在がちなのを知っているにもかかわらず、銀行振込を薦めないのは、なぜか。
受信料の集金人は、NHKに雇われているのではなく、NHKと契約している個人事業主(だったはず)。で、受信料の徴収をすれば一軒あたりいくらかのマージンがNHKから支払われる。だから、「来る日も来る日もピンポーンする」。


なんで受信料払わなきゃいけないの?
大体ね、家にいないんだから、家でテレビも見てないですよ。
それに、だ。
あなた方が受信料の取立ての根拠としている、放送法32条には「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」
とあるけれども、受信料を払えとは一言も書いてない。
今すぐこの場で、なぜ受信料を払わなければならないかを、私が納得いくように説明してください。今すぐに。
……と、イジめてやろうと思ったが、この人にそんなことしてもショウガナイので、素直に支払う。
あとで、NHKに質問書を送ろうと思う。


朝日新書2冊読了。
外岡秀俊(←紹介文に「名文記者」とあったが、この人の文章、どこが「名文」なのか? あくまでも朝日社内ではということなのか)『情報のさばき方』、宮崎哲弥『新書365冊』の2冊。


外岡秀俊はいう。

メディアに将来はないのか。私はそうは思いません。ただし、これからは「権威」ではなく「信頼」が、メディアの影響力のバロメーターになるでしょう。
(中略)情報の量が増えるほど、メディアの種類が増えるほど、人は逆により厳しく情報の選択を迫られるという皮肉な現象が起きてしまいます。
実はここに、情報力をもつ職業集団が今後も生き残る余地がある、と私は思います。かつてマス・メディアが果たしていた情報提供の役割は、IT革命時代にはどんどん比重が低下していくのですが、逆に膨大な情報の中から本当に必要な情報を選別し、検証したうえで、わかりやすく伝える、という役回りがそれです。


外岡の言葉に、私は深く同意する。
だが、朝日新聞社をはじめ各新聞社は「情報力をもつ職業集団」たりえているだろうか? 
「情報の価値を瞬時に見極め、それを裏付ける取材力」「ウェッブにはない情報を構想する力、そして、リアル・ワールドから情報をつかみ、分析し、伝える力」が、いまの新聞社にあるのだろうか?