「週刊文春」9月22日号

猪瀬直樹の連載コラム「ニュースの考古学」、いつもはほとんど読んでいないのだけれど、つい気になって読んでみた。ニュースコラムなんだから、原稿の〆切時点では、今回の総選挙の結果について判明していなくても、その結果を予測し、今回の一連の騒動について論じるのではないか、と期待していたのだった。
驚いた。今回のテーマは(も、なのかもしれない)、道路公団の近藤総裁についてだ。

あれからほぼ二年になる。十分な時間が過ぎた。改革のためにやるべきことはいっぱい残されていた。いたずらに時間を浪費させた責任は内田副総裁をはじめとした公団幹部にあるが、リーダーシップ不足の近藤総裁にもあきらかに責任がある。

<十分な時間が過ぎた。改革のためにやるべきことはいっぱい残されていた。いたずらに時間を浪費させた責任は>、近藤総裁だけではなく、小泉総理にもあきらかにある。
なぜ猪瀬氏はそう指摘しないのだろうか。

小林信彦は「本音を申せば」(今回のタイトルは「天災と人災」)で、総選挙直前の報道について触れたあと、こう続けている。

後世、ああ、あれがターニング・ポイントだったのか、思うことがある。

そして、保阪正康『あの戦争は何だったのか』(新潮新書)を紹介しつつ、小林氏自身の昭和十五年の記憶を書き綴っている。
小林氏は時評を書くのがあまり好きではないそうだが、こういう時代だからこそ、小林氏にはこういう時評を書き続けて欲しい。