「本の雑誌」「クィック・ジャパン」

本の雑誌 (2005-9) ザリガニ入れ食い特大号 No.267

本の雑誌 (2005-9) ザリガニ入れ食い特大号 No.267

田口久美子、松田哲夫永江朗による座談会「激動の30年を振り返る!」に、こういう一節がある。

永江 僕が77年に大学入学で上京した時は「ぴあ」と本の雑誌でしたね。田舎にはなかった……。
田口 新しいカルチャー?
永江 やっぱり東京にはすごい雑誌があるんだなあって。
松田 ほんとですかそれ(笑)
永江 本の雑誌も「ぴあ」も、貧乏学生のための雑誌だったんですよ。名画座にしかいけない学生と、費用対効果のいい読書しかできない学生のための(笑)。

永江氏の「本の雑誌」は<費用対効果のいい読書しかできない学生のための>雑誌だったという指摘には違和感を覚える――こういう言い方だと、「本の雑誌」は単なるブックガイド雑誌だったように聞こえてしまう。昔も今も「本の雑誌」は、単なるブックガイドではなかったはず――が、<田舎にはなかった……>という部分には、思わずうなずいた。

私が「本の雑誌」を定期購読するようになったのは、電車通学をするようになった高校入学以降である。赤田祐一が編集長を務めていた「クィック・ジャパン」を知ったのもその頃。
それまで、私の生活圏の中には、「本の雑誌」などを置いている書店がなかったのである。

中学時代、愛読していた雑誌は「文藝春秋」週刊少年マガジン」「週刊新潮」「週刊文春」「月刊カドカワ」「ダ・ヴィンチ」である。かなりオヤジくさい。田舎の本屋には私の興味を満たしてくれる雑誌はそれくらいしか置いてなかったのである。

そういう環境で育ったから、その頃の私には、創刊から二十数年も経っていた「本の雑誌」は(紛れもなく)新しい雑誌だった。「本の雑誌」に限らず「噂の真相」も、「クィック・ジャパン」も、私には新しく感じられたのだ。

そして、私は少しずつ本好き雑誌好きになっていき、「本の雑誌」や「噂の真相」のバックナンバーを少しずつ買い集めていった(新刊書店では神保町の茗渓堂書店には「本の雑誌」のバックナンバーがかなり揃っていたし、古書店では神保町の@ワンダー、早稲田の寅書房などには結構置かれていた)。

そんな私の水先案内人が、坪内祐三だった(現在完了継続用法)。
今月号の「坪内祐三の読書日記」で、坪内さんはこう書いている。

大盛堂が今月いっぱいで、あの釤本のデパート”と言われた店舗を閉じてしまうことを思い出し、久し振りで、ギシギシとスピードの遅いエスカレーターで四階まで登る。大盛堂のことは、一冊分とは言わないまでも、百枚ぐらいは書きたい思い出がある。サヨウナラ大盛堂。

坪内さんは「クィック・ジャパン」vol61の連載「東京」第10回「渋谷」で、大盛堂のことをちょっと書いている。
また、「クィック・ジャーナル」には「小西康陽と巡った渋谷大盛堂本店『最後の日』」という記事がある。

九二年七月に友人と三人で創刊したときは取次も通さない完全なインディペンデント・マガジンだった『バァファウト!』の0号を、真っ先に置いてくれた書店のひとつが大盛堂だったことを小西氏に打ち明けると、「すごいわかる」と肯いて、「それこそ『SUB』とか『だぶだぼ』とかさ、オレがミニコミ誌と出会ったのは、みんなここなんだよ。一階のレジ横にさ、フリーペーパーとか前衛演説のチラシもすごい置いてあった。」


かつての大盛堂書店について、坪内祐三は『一九七二』で詳述していたし、小西康陽も以前どこか別のところで語っていたし、みうらじゅん大槻ケンヂなどもどこかで書いていた。
東急文化会館の閉館のときは結構話題になったし、談話室滝沢の閉鎖についてだってそこそこ話題になったのだし、青山ブックセンターの倒産騒動のときはかなり話題になったのだから、あの釤本のデパート”大盛堂が閉店するときも話題になるのではないか、と私は思っていたのだが...


坪内さんは「エンタクシー」5号「記憶の本棚」でこう書いていた。

かつての本屋(新刊書店)は、たとえ町の本屋であったとしても(いや、街の本屋であればこそ)、その棚(空間)は、好奇心に富む少年少女たちの重要な学習機関だったのである。
本屋というのは買い物をするだけの場所ではなかった。
棚を眺めに行く場所(空間を味わいに行く場所)、そしてその棚から様ざまなものを学ぶ場所、だったのである。確かに本は商品であったけれど、売れる・売れないという事とは別の基準が当時の本屋にはあった。だから本の並べ方、ディスプレイも、今のように売れ行きだけを最優先するものではなかった。
大げさに言えば、本屋は一つの豊かな文化基地だった。
いや、実際、その言い方は大げさすぎる。
もっとさりげない形で、本屋は、私たちを、文化教育してくれたのだ(この場合の文化にはメインカルチュアーとサブカルチュアーの両方が同時に含まれる)。


私が読書人となりつつあった高校1年の秋、ブックファーストが渋谷に進出した。その頃に大盛堂書店を訪れているはずなのだが、その記憶がほとんどない(もはや、かつての大盛堂書店ではなくなっていたのだろうか。まだその頃の私が読書人として幼かったからだろうか)。
私には、大盛堂の思い出は、まったくない。
だが、いやだからこそ、大盛堂の閉店にノスタルジックな気持ちになる(ほとんど知らないからこそ、私はかつての大盛堂を「理想の書店」だと勝手に思っている)。


去年、文京堂書店が渋谷に出店した。
文教堂書店という「売れる・売れない」という基準しかない書店がうまくいっている(らしい)中、「一つの豊かな文化基地」だった大盛堂が閉店した。


以前、ある文教堂書店で、「『月刊IKKI』ありませんか?」と店員に聞いたことがある。
その店員は、マンガ雑誌コーナーを指差しながら、こう答えた。
「そこになかったら、ないです。当店では、雑誌売上げランキングで上位200位以内に入らないことが何ヶ月も連続して続いた雑誌は仕入れないんですよ。……(コンピューターで検索してから)今月は仕入れていませんね」


「売れる・売れない」という基準しかない書店が増えていく。出版社にとって、ブックオフよりこっちの方が問題じゃないか、と私は思うのだけれど...。