新宿三丁目

某所を流してから、新宿三丁目で一軒。終電の時間をとっくに過ぎていたので、タクシーに乗る。
運がよいことに?、後部座席に灰皿が3つもあるという喫煙車だった。このご時世、非常に珍しい。タバコの話から、筑紫哲也の話に。すると、運転手が「筑紫さん、きょう亡くなられたけれど、つい二、三日前までテレビ出てたんですよ。ほら、あの松尾なんとかさんと一緒に出てたんですよ」。わたし「テレビだから録画かもしれませんが、そうですか、最近も出ていたんですか。だとしたら、あれかな」。運転手「司会者は大和田獏だっけかな。私が起きるくらいの時間ですからね。朝か昼の番組だから、生ですよ」。運転手「そのときのある事件のコメントでね、一人だけ違ったことを発言したんですよ」。
コメント内容も考えてみれば、それは、筑紫哲也ではなく、たぶん鳥越俊太郎だろう。

今年3月末、TBS「ニュース23」は、「筑紫哲也」の看板を外した。これは、ひとつの時代の終わりを象徴する出来事ではないか。プライムタイムのテレビニュースの二大看板が両方とも去っったのだから。

去年、昼のワイドショーからは草野仁が去った。

たしか番組が終了するかしないかのくらいに出た「週刊新潮」と月刊「文芸春秋」の記事で驚いたのだが、「THEワイド」は番組開始当初は、当時にしては新しいワイドショーだったのだ。「噂の真相」や「朝日ジャーナル」でも寄稿していた有田芳生がコメンテーターとして出演していたのだから、新しいといえば新しい。おそらく、このくらいの時期に、「モーニングEye」が終了した1995年前後にワイドショーは違う方向に舵を切ったのだ。私にとってはかなりダサイという印象だったが、いま思えば、それは違ったのだろう。また、1995年、東海林のり子は現場レポーターの仕事を辞めている。
阪神大震災オウム真理教の2つの大きな事件の後、何かが変わった。少なくともワイドショーは、変わった。

フジテレビ「おはようナイスデイ」、日本テレビルックルックこんにちは」、TBS「モーニングEye」あたりが私にとってのワイドショーだ。そして、忘れてはならないのは、昼のワイドショーの存在だ。

で、この前も書いたけれど、そういう人間臭いワイドショーが諸事情により終了し、事件をナマではなく脚色してネタにしていたフジテレビの「どーなってるの」「こたえてちょーだい*1という伝統?も途絶えた。
いまのワイドショーには、人間への興味はあまり感じられない。ネタそのものへの興味しかないように、私は思う。

少なくとも、ワイドショーにしろ、プライムタイムのニュースショーにしろ、もっと違っていたのではなかったか。
いや、テレビだけではなく、新聞もそうだ。それははたして……

*1:某週刊誌の「黒い手帳」が暗いそれだとすれば、こちらはフジテレビらしく明るいそれだった