ほどよく酔っ払っているとたくさん本を読める。

昨夜、絲山秋子『ばかもの』を一気に読了。素晴らしい。文章も、ストーリーも、固有名詞の使い方も素晴らしい。
それから、大久保房男『文士と編集者』(紅書房)を手に取ると、時局柄、こういうところに目が留まる。

何十年も大衆相手の出版をして来た社内の人びとには「群像」に対する理解が乏しく、赤字ばっかり出している雑誌は廃刊せよ、という意見を部課長の中にも述べる者があり(中略)「群像」の方針に変革を迫る意見が社内の全体会議でよく出て来て、私はエネルギーの三割を編集に、七割を社内の対応に使っていると言っていた。

社には、どの文藝雑誌も皆赤字だということをほとんどの社員が知らないから、儲からぬ雑誌など出している意義を認めぬ者がほとんどで、赤字雑誌の「群像」など廃刊せよ、という部課長もいた。

それから数十年。この会社に限らず、「儲からぬ雑誌など出している意義」を認めず、どんどん廃刊するようになってしまった。

そして、杉江由次『「本の雑誌」炎の営業日誌』を。「本の雑誌」掲載の日記や、「本の雑誌」がらみの日記本はどれも面白い。時局柄、こういう「とある書店」の店員さんの言葉に、ぐっとくる。

出版社はもっと本を大事にして闘っていかなきゃ。昔はもっと威張っていたんだよ、出版社って。どうしてこうも数字数字、今だけ売れる方になびいていくようになっちゃったのかな? とにかくもっと本と本屋の力を信じて、未来のことを考えて動いて欲しいのよ。