カレーだけじゃなく、スパゲッティーも気になっている。

もうすっかり忘年会シーズン。スパゲッティーを茹でたい*1のに、さすがにきょうはなぁ……ということで、富士そばで山海そば。やはり立ち食いソバは立ち食いそばでいい。しっかし、駅の立ち食いそば、いまや食いたいと思う店がなくなってしまった。奥多摩そばはもはや奥多摩そばではないし*2原武史先生が『鉄道ひとつばなし』で書いていた、品川駅の常磐軒、我孫子駅弥生軒*3くらいしか積極的に食いたい店はなくなってしまった*4
帰宅後、新聞やブログをチェック。今回の流行語大賞の結果……。何だかねぇ。まぁどれもたしかに流行語ではあるのだが。
つい気になって、銀杏BOYZが出演した「ニュース23」をユーチューブでチェックしてしまう。

また、私の某書評で取り上げた中の1冊について。或る方*5が「お説教が加えてあった」と書いていらした。あの本については「読む価値」がないとは思っていないし、かといって「なんで皆そこまで褒めるのか(嫌うのか)」とも思っている。
活字になった文章の言い訳をあまり書きたくはない(しかも、これまた説教めいてしまうので、よけいに書きたくない)けれど、ひとつだけ。
その状態を望んだ自分はいないの? なりゆきで、流されるように生きていて、いまの状態になってしまったのかもしれないけれども、でもさ、どっかしらで、自分の選択する余地があったわけじゃない? で、いまの状態になったのは、自分にも責任があるわけじゃない? それをさ、「自分は悪くありません。社会が、他人が……」って、言える人の気が知れない(だからこそ、そういう思いで書かれた文章は気になる)。「アメリカ化」に関しても同じことで……。その「アメリカ化」が進んだ「失われた10年」のおかげで、いまがあると思う私には、それらを安易に否定する気には、なれない。少なくとも、「ブ」がなければ、私の人生は大きく違っていたと思う。
それから、ふたたびブログをチェック。
晩鮭亭さんが、拙文を取り上げてくださっている。<最近手に取ったという復刊や再編集本の書名列挙に胸がワクワクする>。ああ、ありがたやと思いつつも、<もちろん……>に続く文章で、目を覚まされる。いつも、晩鮭亭さんには、こちらの意図みたいなものを見抜かれているというか見透かされているようで、ありがたいやら怖いやら。晩鮭さんに限らず、そういう方に読んでいただいていることは、文筆業者のはしくれとして、非常に嬉しい。そういや、オカマ店長は、どうなるのだろう?
【本日の東川端の脳内キーワード】
夜回り先生東向島/ニューハーフ

*1:スパゲッティーって、店で食べると、ハズレもあまりないし、アタリもめったにない。喫茶店ナポリタンには心惹かれるけれど「トマトスパゲッティ」だと、まず注文しない(そもそも私は誰かに誘われない限り、パスタ屋に行かない。ジョリーパスタ五右衛門というチェーン店の登場で、「地方」のパスタ屋は大幅な進歩を遂げたと思うけれど、それはまた別の話)。ケチくさい私は、店で食べる甲斐のあるものを食べてしまうのだ。とんかつとか天ぷらとか

*2:おでんそば、あれって、じぇいあーる系のそばに厚揚げいれただけじゃない

*3:そして品川は場所柄ついでに行くこともあるけれど、我孫子は……あの唐揚げ蕎麦、実に「うまし」なんだ。

*4:といっても、チェーン店の「箱根そば」は気になっている

*5:いつも拙文にお目通しいただいているようで、ありがたい