やっぱり、私にはあの言葉が必要なんだ。

ポストを除くと、アサヒの夕刊と新潮社フォーサイト」12月号、それに郵便物がいくつか。政治経済関連の大事件が起こったときに「フォーサイト」がどう料理するかが、いつも愉しみ*1
その後、じもと駅近くの書店で、「dankaiパンチ」12月号「ブルータス」12月1日号 特集「映画選びの教科書 2008年版」を購入。「dankaiパンチ」、気になる雑誌ではある。「ブルータス」の映画特集、久しぶりにいい意味で「ブルータス」らしい読みごたえのある誌面。しっかし、某ブランドの特殊広告があるせいで、読みづらいったらありゃしない。
荻窪で一軒。
帰宅途中、コンビニで「BUBUKAゴールデンベスト」。「ブブカ」、いつのまにか10周年か*2。座右のレファ本として購入。
帰宅後、原稿執筆。昨日の飲み会でも話に出た、アメリカ、郊外、夢、ショッピングモール、世代……といった言葉が、グルグル頭の中をまわっている。時折、友人の「北関東アンダーグラウンド」という歌*3もぐるぐる。ああ、そうだ、と思い、坪内祐三『ストリートワイズ』の「「本場(アメリカ)」という他者が消える時」を再読(もう何度か、わからないくらい読み返している)。
アメリカはもはや憧れでも乗り越えるべき他者でもなくなってしまった〉という一節に、「ドメスティックな世代?」である私は思う。消えたのは「本場(アメリカ)」という他者だけではない、他者自体が消えてしまったのではないか。消えてしまったというのは、不適切だ。
「他者」は、厳然として存在する。憧れる対象としての「他者」は存在しないのかもしれない。ただ、「無力な自分」は、「他者」にすがろうとする。自分にとって都合の悪いことは「他者」のせいで、都合のいいときだけ「他者」を呼び出す。そして、挙句の果てには、「こんな世の中になったのは、『他者』のせいだ! なのに、なんで『他者』は私の人生をダメにするんだ! 救ってくれ、俺を」という具合に、「他者」にすがる。その、すがりつき具合に、私は違和感を覚える(私自身を含めて)。
少なくとも、私は、世間の人間に、親切心や思いやりを求めるほど、落ちぶれてはいない。いまの自分の境遇を、「社会」や「世間」のせいにするつもりも毛頭ない。かといって、「恥の多い人生」を文章で綴るほどの自意識はないし、そうしないくらいの羞恥心は持ち合わせている。
肥大化しすぎた自意識を抱え、長すぎる思春期を終える見通しももたない人間は、このさき、どうしていけばいいのだろう? ああ、こういうことを考えてしまう自分に、自己嫌悪。


夜の真夜中、物凄く寒くなってきたので、コンビニへおでんを買いに出かける。深夜のコンビニで、おでんを買うと、ちょっと嬉しい。マックやケンタッキーだけじゃなくて、セブンイレブンをはじめコンビニで買い物するのが愉しい嬉しいっていう時代があった、なぜかそういうこと誰も書かないけれど*4
いまの中高生ぐらいの年代になると、スターバックスがそういう憧れの対象にあたるのかもしれない。いまや、地方のイオンとか西友などの店舗内に、スタバがある。スタバの出店戦略って結構面白い。東京23区をはじめ、都市部には、それなりにオシャレな街や空間中心に出店しているのだけれど、地方や郊外になると、びみょ〜な空間にも出店している。イトーヨーカドーにスタバって。。。。*5
それってさぁ……と私は思うのだけれど、若い世代の受け止め方は、全然違う。いや、若い世代だけじゃないはず。その親の世代にとっても、もっと上の世代にとっても、たぶんそう。そうして、どんどん日本的な風景は塗変わっていく。記憶すらも塗り替えられていく。

*1:この手の「3万人ぐらいのための」直接定期購読雑誌って、何誌かあるけれど、「フォーサイト」以外は、スキャンダル的側面にしか焦点をあてないことが、ままある。でもさ、そういうことって、ネットの方がもっと面白いネタを拾える。雑誌に求めてることってさ、単なるネタじゃないんだよね。その点わかってるのか、「選択」「テーミス」。

*2:ネットのせいで雑誌が売れなくなったという向きもあるけれど、「ブブカ」はネットが普及していくなかでショーバイとして大成功を納めてきた。これからの雑誌のあり方として示唆に富んでいる雑誌だとは思うのだけども、なぜかその側面はほとんど語られない気がする

*3:「キタカントウ!」「アンダーグラウンド」という単語を連発している歌なのだが、結構好きだったりする。

*4:セブンイレブンのシェイクとか店員が盛ってくれるアイスには、スペシャル感があったように思う。吉野家サーティーワンミスタードーナッツ……そういうチェーン店が、憧れの時代が確かにあった

*5:その逆が、「うまいラーメンショップ」や「山田うどん」。地方のロードサイドにしかない。そういえば、って何が、そういえばなのか、東川端参丁目というペンネームの由来のひとつは、ドリフターズ東村山音頭」にある。「東村山」だったら、あまりにもそのまんま過ぎるから、他にもいくつか理由をこじつけをして「東川端参丁目」とした。TBS「池袋ウェストゲートパーク」で森下愛子が「いっちょめいっちょめ」とやっていたから、結構知られているのではと思ったのだけれど、元ネタはあまり知られていなかったようだ。区分上では東京都でありながら、東京じゃない地域もある。首都圏と区分される地域でも、農村はある。そういうところの出身者って、都会っ子でも、田舎者でもないっていうところがあって……って思いをペンネームにこめている。