週刊朝日3月16日号「朝日ジャーナル」
内容は……
山口一臣「なぜ今、朝日ジャーナルなのか」
筑紫哲也×宮崎哲弥 対談「知を育む論争の場の復権を」
「朝日ジャーナルグラフィティ」
特別寄稿「私の考える美しい国」島田雅彦、小林節、手嶋龍一、本田由紀、有田芳生、森永卓郎、浅草キッド
筑紫宮崎対談の冒頭で、宮崎哲弥がこう語っていた。
私にとっての「朝日ジャーナル」初体験は、筑紫ジャーナルが始まる直前の1983年9月に出たこの別冊です(引用者註「朝日ジャーナル 1983年9月25日増刊号 カルチャー・ナウ'83」)。表紙が坂本龍一氏。本文のアンケートでは柄谷行人氏が、感銘を受けた作品として「スウェーデンボルグの本」と「中沢新一のチベット密教論」を挙げていた。
宮崎哲弥は1962年生まれだから、21歳のときに初体験したってことか。宮崎哲弥氏にしては遅い気がする。
また、私はリアルタイムで知っているわけではないから、「朝日ジャーナル」が「朝日ジャーナル」だったのって筑紫ジャーナルよりずいぶん前だったんじゃないかって思う(でも、筑紫ジャーナルが「時代と寝ていた雑誌」ではあったのかもしれないとは思うけれども。って勝手な憶測だけど)。