総合誌 冬の時代?

昨日の、1月6日付の朝日の夕刊のアレ、何よ。「スポーツ総合誌 苦境」って。
この記事って、明らかにギョーカイ目線じゃない? 「最近アレがいいよ」「でも、アレは終わったね」とか雑誌読まずにエラソーに語るギョーカイ人の視点から書かれたよーな感じがする(まぁそういうギョーカイ人って、広告代理店だけじゃなくて、新聞社にも出版社にも結構いるんだよね)。そういうことを口にするってことは別にどーとも思わないけど(思わなくないんだけどさ)、記事とかにしちゃうのはマズイでしょ。
記事にするなら、きちんと取材すればいいんだけど、これ、ただ、スポーツ総合誌の編集長クラス以上とスポーツジャーナリスト何人かに話を聞いて、あと実売部数とかのデータ調べて、それをテキトーにまとめてイッチョ上がりっていう記事。「ア・エラー」とかでよくやってる取材……。こういうテキトーなことをしてると、そのうち、新聞だって、読者から飽きられるよ。ああ、もう飽きられてるか。クボヅカじゃないけど「クソテキトーなそーゆーマスコミにピースだコノヤロー」だよ、ったくね。


「スポーツ総合誌 苦境」と書く一方で、「サッカー誌は好調」だって。まぁ自分のところで、サッカー専門誌「ワールドサッカーキング」出してるから、こういうふうな小見出しをつけ、こんなふうに書いたのだろう(でも、なぜか記事で取り上げられているのは、日本スポーツ企画出版社の「ワールドサッカーダイジェスト」とベースボール・マガジン社の「週刊サッカーマガジン」と「ワールドサッカーマガジン」だけだ)。でもね、サッカー専門誌だって好調とは決して言えないんじゃないのかな。ワールドカップ後に、サッカー専門誌数誌では編集長が更迭になったんだよね、確か。まぁ、こんなことギョーカイ人じゃなくたって、「季刊 サッカー批評」とか読んでいれば知ってるんだけど。


スポーツジャーナリストの玉木正之さんが自身のホームページで、「スポーツ総合誌の相次ぐ『廃刊・休刊』に関して考えられる理由」を書いていたけどさ。
まぁ理由はいくつもあるとして、俺が想像する理由はもっと簡単で。
ただ単に――スポーツ総合誌って、思った以上にテマも金もかかる。そのわりには、儲からない。実売収入だけじゃなく、広告収入でも稼がないと、とてもではないが採算がとれない。儲かるどころか、むしろ足が出てしまう……ということだと思う。


ああ、ちょっと酔ってるから、何いってんだコイツと思うかもしれないけれど、そうだったら、ちゃんと言ってね。
俺はね、「スポーツ総合誌が苦境」だとは思っていない。スポーツ総合誌だけじゃなくて、雑誌自体が苦境とも思っていない。というか思いたくないね。


「この雑誌つくるためにはコストがいくらかかり、そのコストに見合うかそれ以上の収入が得られるか」っていう計算を、いままで、ほとんどの出版社はしてこなかった。
してこなかったから、いまこういうふうになっている。
「あのジャンルだと儲けられそうだ」となれば、スポーツ総合誌やサッカー専門誌、ライフスタイル誌を出し、女性誌を細かく細かく階層別階級別に創刊する。で、やってみて、そんなにうまくいかないと、「じゃ、雑誌つぶしちゃえよ」。
そんな2匹目のドジョウ狙いショーバイがいつまで続くかっていうんだよ。昔、出版界では、柳の下にはドジョウがウヨウヨと言われていたらしいけど。
KD社にしてはめずらしく2匹目のドジョウ狙いじゃなかった「KING」も、アレじゃあね、って話がちょっとそれたね。
だんだんよくわからなくなってきたから、とりあえず、まとめるとさ。
出版界も格差社会化してるんだよね。
一部の儲かる雑誌と儲からない雑誌の差が激しくなっている。大手出版社がつくっている雑誌では、「売れる雑誌(実売収入が多い)=「広告収入も多い雑誌」で、「売れない雑誌」=「広告もほとんど入らない」っていう状態で、収入の差がかなりある(ただ、文芸誌は2次使用3次使用で稼げる。だが、スポーツ総合誌では2次使用3次使用収入もそれほど見込めなかったから……)。


一方、大手じゃない出版社が出している雑誌は、広告はそんなに入らなくても実売収入で稼ぐ、稼げないなら稼げないなりにコストを下げて出すという感じなのかな。


橋本治が、朝日新聞は「メジャーなマイナー」、本の雑誌は「マイナーなメジャー」とどこかで書いていたっけ。
雑誌をつくっている当事者たちは「(存在感や影響力は)メジャーな、(でも部数や収入では、テレビ新聞に比べると)マイナー」だと思ってきた。でも、そもそも雑誌は「マイナーなメジャー」であって。


これからは、雑誌はターゲットメディア(詳しくは『ターゲット・メディア主義』)たるところに生き残りをかけるしかない(とギョーカイ人は思っている)から、「マイナーなマイナー」に、っていう方向にどんどん向かうのではないかと思う。


もう、ターゲットが不明確な「総合誌」はいらない、っていう感じになりつつある。
もちろん商売を考えるのも重要なことだけれどさ、儲かることばかり狙っている日Kなんちゃらの雑誌なんて面白くもなんともないじゃない。編集者自身が面白いと思っていない雑誌なんて、どーせ売れないんだよ(日Kビヂネスが売れてるのは、面白いとか面白くない関係なく、「ビジネスマンなら読んでおかなければ」という刷り込みがあるからだ。そういう刷り込みが成功したというだけでもスゴイちゃあスゴイが)。
あと何年かかるかわからないけど、総合誌が苦境といわれる時代だからこそ、総合誌で勝負したいんだよね。専門誌じゃなくて。「マイナーなマイナー」じゃなくて。
「マイナーなメジャー」を目指したい。活字好きな人とか雑誌好きな人には、たまらないという。でも、そうじゃない人でも読んで面白いという。よかった頃の「週刊文春」や「ダカーポ」みたいなものというとなんかアレだけどね。
でね、本来の“雑誌”の“雑誌”たる部分で勝負すれば、まだまだ勝算はあるんじゃないかと思っている。単なる情報や知識だけが書かれた紙の雑誌は、どんどん消えていくだろうけどね。