「週刊現代」

リニューアルのウワサを聴いてから、ちょっとドキドキハラハラしていた(いまどき週刊誌がリニューアルするとなると、「AERA」化するのかと思ってしまう。もう誰も覚えていないかもしれないけれど、「週刊宝石」だって「週刊DIAS」にリニューアルし…)が、それは杞憂だった。


変わったのは、表紙と本文デザインだけっぽい(なんだか「アサヒ」っぽくなっちまったぜと思わないこともないけれど、この表紙、講談社にとってはかなり冒険だったはず。大手出版社が出している総合週刊誌の表紙がセミヌードは、おそらく初めてだろう。出せない理由はいろいろある。自己規制とか自己規制とかいろいろ)。
が、それだけじゃない。
私が気づいた(思いついた)リニューアルポイントをいくつか。


まずグラビア。
●女性が見ても不快感を抱かないだろう……というくらいの写真しか載せない。また、夫婦で見られるようにレジャーや旅館ネタを増やした。
●モノクログラビアがなくなった。
モノクロだと時事ネタじゃないとキツイし…まぁ何かと手がかかる。その割には、読者の購買欲をそそらない。それに比べ、カラーはヒマネタでOK(あの新TYOやB春だって、カラーページはほとんどヒマネタ)だし、カラーグラビアがいいとそれだけで買う読者もいるだろう。また広告も入れやすいし…とかたぶん、そんな理由だと思う。
●カラーグラビアから、汚い広告(エステとかエロとか。安っぽい広告。雑誌の質を下げかねない広告)を極力減らした。こうすることによって、いわゆるナショナルクライアント(誰でも知っている超一流企業)の広告が入りやすくなるはず……とたぶん広告部の人が考えたのでしょう。


次に、中身。
●「蓮池薫さんは私を拉致しようと日本に上陸していた」。これ、現代以外の雑誌なら、まずやらない(やるとしたら新TYOぐらいか)。この記事とJRの例のキャンペーンで[ http://d.hatena.ne.jp/sedoro/20061030:title=「週刊誌界の八つ墓村」]ぶりが好きな読者をしっかり確保。
●「『硫黄島からの手紙栗林忠道の品格」。グラビアに、保阪正康×加藤陽子×福田和也の座談会って、まるで月刊「文■春秋」だよ。おそらく、以前「現代」を読んでいたリタイア世代を再び呼び戻したいという理由があったのでは?
ただ、このネタでカラー12ページとは使いすぎ。たぶんページを何とかして埋めたいという理由だったのでは。
石原慎太郎ネタ、スペシャルワイド「あの人はいま」などで、「週刊A日」読者をごっそり頂く作戦。
●「ポロニウムがふつうのタバコに含まれていた!」。厄介なネタは海外メディアの記事を紹介するという常道を踏みつつ(こうすることで地雷を踏まなくて済む)、「週刊金■日」読者もちゃっかり頂く。
●渡BJ一先生の連載、デザイン変えただけで、アラ不思議。「A日」とか「B春」に載っていてもおかしくない感じだ。
●ビジネスネタもそこそこ仕込み、その手のはなしが好きそうな層にもしっかりアピール。
■ライバル誌は「ポス×」ではなく、「B春」と「A日」に設定したと思われる。


総評。
ダカーポ」で、現「週刊現代」編集長がこう語っていた。

「週刊誌は商品として商業的に成功することは重要です。しかし、それ以上に大切な役割は権力に対して批判を加えること。メディアが見るべき仕事の原点に立ち戻って考えているんです」

まったくもってその通りだと思う。いくら正義だジャーナリズムだと叫んだって、雑誌自体がなくなっては意味がない。


実際、これが功を奏するかどうかはさておいて、このリニューアル自体は素晴らしいと思う。
ふつー、リニューアルというと、それまで持っていた雑誌のテイストを捨て去って、広告収入目あてのものにするだけ(最近でいえばS学館の「ラピタ」)。
そこに読者はない。そこに志はない。あるのは商魂だけである。そんならショーバイ変えなさいよ(って変えてるか、S学館は。最近塾とかも経営してるし、通販とかもやってるからね)。
週刊現代」のそれはそうではない。まず、志がある。その上で、商売も忘れていない。


今までの読者には「変わったのはデザインだけ?」かと思わせる一方で、デザインや企画の方向性をちょっと変え、いままで読んでいなかった人にも手にとらせるようにする。そうやって実売を伸ばすことも考えながら、広告収入を伸ばすことも(ちょっとは考える)――。


大々的に「新装刊」「週刊誌革命」と謳っているわりには、「えっ? どこが革命なの?」と思う人もいるだろう。
私もそう思った。でも、ぱらぱら流し読みして考え直した。


いまや、ザラ紙の週刊誌なんてジリ貧だと言われている。もうザラ紙の週刊誌なんて読者は減少していく(週刊B春だって、長期低落傾向にある)一方だし、広告収入もじわじわ減っていくだけだろう。もうザラ紙の総合週刊誌の時代は終わった……そういう人は少なくない。私もそう思うひとりだ。だが、そう思う一方で、そうは思いたくない自分がいる。


「週刊誌革命!!」というのは、大げさでも何でもない。
いまはまだ、ただの<宣言>にしかすぎない。
だがもし、この週刊現代の革命が成就したら、いいかえれば商業的に成功したら……。
雑誌は、<終わったメディア>では全然ない。やり方次第で、十分、未来はひらけてくるということを、雑誌に携わる人間は再確認するはずだ。
週刊誌の未来を賭け、「週刊現代」はひっそりと革命をはじめた。
願わくは、革命が成就されんことを。
……というのは、あまりに「週刊現代」にエールを送りすぎか。