週刊誌の憂。。。

ジュンク堂新宿店のあと、ロフトへ。「ほぼ日」の日記を見るが、きょうのところは購入を見送ることに。毎年、2、3冊手帳を買ったり貰ったりするんだけれど、結局使いこなさずに終わるから、買わなくたっていいんだけど。


その後、新宿某所で週刊誌記者数人と落ち合い、密談。
話題の大半は「週刊誌の憂」の現状について。別にそういう話をしたかったわけでは(あまり)なかったのだが、メンツがメンツなので、そういう話になる。
が、ギョーカイにいる同世代とこういう話をしても、たいてい、つまらない。
「もうポス●と現題は、落ち目だね」「なんで、D通とか大手興国代理店の批判やらないんだろうね」「トヨ夕だけじゃなくて、J茶だとか大スポンサーの記事やろうとしても、企画自体が通らないよね」とか何とか。
こういう話としていると、段々むかっ腹が立ってくる。で、私はからむ。
「それ、実際に読んだ上で言っているわけ? いま一番勢いのあるのは、現題だよ、俺はそう思うよ、実際ね」
「読んだ上で言っている」という返答があったことは、今のところ、残念ながら、ない。


<読む気にもならないから読んでいない>。それなら、わかる。
<読むヒマがないから読んでいない>。これも、わかる。週刊誌十数誌を読む時間、常人には、ない。
どっかで聞きかじった、ギョーカイ内の評判を、さも自分の見解であるかのように語ることを、私は許せない。
自分が関わっている雑誌で、他人からそうされたら、嫌でしょ?
「マスコミ」や「メディア」とひとくくりにされるギョーカイで働いている人は、少なくとも、自分がされたら嫌なことを積極的にすべきではない。私はそう思う。


雑誌を買っているのは誰か。
ギョーカイ人ばかりではない。
ギョーカイ人ばかりが買うならば、「そういうのもアリ」なのかもしれない。
まぁ実際、ギョーカイの人は、ケチだから、身銭切って雑誌買う人はそんなにいない。
身銭切って購入し、貴重な時間を割いて読んでくれるのは、誰か。


興国代理店の「殿通」「白呆堂」だとかの批判記事を読みたい読者って、どれくらいいるのか。また、面白い切り口で記事を書けるのだろうか。
「トヨ夕」「日惨」だとか「J茶」だとか「密菱」だとか「スントリー」の批判記事、どういうふうな切り口で書いたら面白いのか。


そういうこと、考えたことあるわけ?
なぜ記者をやっているのか? どうして記事を書くのか? 人を傷つけて、自分自身を最も傷つけてまで、そうする必要がどこにあるのか? そういうこと、考えたことあるわけ?


だが、そういう技量は、いまの私にはないので、「殿通の記事って面白いわけ? 田原総一郎のとかさ、大下栄治の小説があるじゃん、古いけどさ。あれより面白いのが出来るの?」とか「大スポンサーの批判企画が通らないんじゃなくて、その企画、面白くないから通らなかったんだよ」ということを(そこそこ丁寧に)言う。


で、じゃあ、逆に、いま面白いのは?という話に。
ここ最近、あがるのは、たいてい「週刊旭日」。
へぇー。
驚いた。
そりゃさ、週刊誌っぽくしようしようとしているのは、感じるよ。いわゆる「週刊旭日」っぽさを消そう消そうとしている感じがする。
でもね、読みごたえないじゃん、あれ。少なくともオレはそう感じるね。記事全部が全部そうだとはいわないけどさ。
なんかさ、企画を出した段階で「へい、いっちょあがり!」って感じなんだよ。
ネタだけじゃないんだよ、そりゃネタも大事だよ。でもさ、週刊誌に期待しているのは、「週刊旭日」に期待しているのはそれだけじゃないんだよ、少なくともオレにとってはね。


週刊誌以外の雑誌の話。
「深長45」とか「SPA?」は一体誰が買ってるんだくらい面白くないとか言い出す。
あちゃー、オレ、それ両方結構買ってるわ。
「深長45」はリニューアル前のヘソ曲がり親父総合誌だった頃の方が好きだったけれど、いまのものはいまのもので好きだし、「SPA?」も連載がいい。
雑誌って、特集記事だけじゃないんだけどねぇ。ネタだけでもないし。


散会。
帰宅後、ラム酒を呷る。