雑誌に未来はある。

仲俣暁生氏がふたたび「海難記」3月5日付のエントリー「続・雑誌に未来はある?」で、自身の雑誌論について語っていらっしゃる(こちらこそ、感謝しております)ので、ちょっとだけ追記を。


仲俣氏がおっしゃるように、氏と私の雑誌観は、根本的に違っているのだろうと思う。
「HB」でも書いたけれど、ベンヤミンのいう「時代精神のアクチュアリティー」が感じられる雑誌は、それほど多くないという時代に私は育った。仲俣氏(橋本治氏)の言葉を借りれば、「日本の雑誌界における『1968年』」以降に育ったのである。
赤木洋一が『アンアン1970』(平凡社新書)で書いているように、「アンアン」は日本の雑誌界にいくつもの革命を起こした。そのひとつが、「テキスト」と「デザイン」の「上下関係」の革命であり、そしてもうひとつは実売収入ではなく、広告収入をあてにするというビジネスモデルの革命*1である。
ここまでは、仲俣氏と私の認識は、おそらく一致している。
ただ、そこから先の雑誌観が違っている。
詳しいことについては、昨日も書いたけれど、6月発売の「HB」の連載できちんと記す。
それまで「TITLE」2008年2月号や「スタジオボイス」2007年1月号の雑誌特集号、「HB」を読んで首を長くして待っていただきたい(もっとも、そんな奇特な方はあまりいないと思うけれども、「HB」を置いている書店は、「TITLE」や「スタジオボイス」のバックナンバーを扱っているところが多いので、両方とも読んでくれたら嬉しい)。


ただ、誤解なきようつけくわえておけば、仲俣氏が「スタジオボイス」2007年1月号に寄せた「本当の『雑誌の時代』」にシビれた。もし機会があれば、私がつくりたいのは、仲俣氏のおっしゃっているように、「文芸誌でもジャーナリズムの雑誌でもない、言葉の雑誌」、「政治も文学も経済もそこで語ることのできる、一流の文章だけが載る雑誌」である。

さらにつけくわえておけば。
ライターにすぎない私は、レイアウト先行のフォーマットに従って何文字×何行という文字数で原稿の発注をうけた。へっぽこモノ書きである私にも、それなりに意地のようなものはあるから、その規定された文字数の中に思いを込めた(いまでは手直ししたい部分ばかりが目につくけれども)。
その原稿を読んだ「HB」編集長(兼AD?)から、後日、「レイアウト、見直しました」と連絡が入った(文字数の変更があった)。そこで一番手を入れたのが、ベスト1のあの記事である。そのときに「つくり手が面白いと思っていない雑誌ほど、つまらないものはない……」という一節を書き加えたりした。


また、さらにいうと、仲俣氏と私の「Monocle」に対する考えも違う(何も「Moncle」みたいな雑誌、つくれると思っているということではないよ)。
長々書きすぎたので、ここらへんで止める。続きは、次号の「HB」で!

*1:「タイアップ記事」も、苦肉の策として生まれたものであることを、赤木洋一が書いていた