■「宝島」1976年7月号 特集「ぼくたちの文章上達法」

植草甚一編集」最後の号(その理由は、巻頭に書かれている)。
巻頭コラム「VOW」に、山岸会の「ぼくらは理想社会を遠い未来に求めない!」というメッセージや、「夏休みは『宝島』主催のツァーで建国200年のアメリカへ行こう!」という告知がある。

特集のイントロダクションには、こうある。

ぼくたちが知りたいのは、自分のこと、そして自分の世代のことなのだ。
好んで用いる語彙、その文章スタイル、従ってその語彙と文体によってくみたてられた感性や考え方の独自性によってぼくたちは、自分たちが新しい世代であることを直観的に知りはじめている。あるいはまた、文章を書くことが苦手であるということによっても、このことは逆説的に証明されているといえるかもしれない。
ぼくたちは、「デートの約束だって電話ですませてしまう。むかしの青年は心血をそそいで恋文を書いたものだが……」と大人をして嘆かせる世代なのだ。
しかし彼らは、次のことには気がついていないのだ。
ぼくたちは、たしかに、映像を好み、マンガに夢中になり、サウンドなしではいられないのだが、そういう世代として新しい感覚とモノの考え方を自らの内に育てつつあるのだということを。
ぼくたちの内部にはぐくまれたこの独自性を文章によって表現することは可能だし、そうすることで自分のことを、もっとはっきりつかめるようになるはずだ。

この特集号を必要としている人は、他にいると思いながら、500円なので、つい買ってしまった。