本は読者に届いていますか?


「嘘くさいぞ、私は」■古典・本の発掘能力・本の未来から。

で、たぶん面白い本に出会えないまま本から離れていく人がたくさん発生してしまう時代なわけで、だからはっきり言うと「面白い本を作る」のは大事ではない時代なんだと思う。個人的には。「面白い本に引き合わせる」のが大事な時代なんじゃないかなあ、って意味で。ウンコみたいな本があふれているこんな世の中じゃ、POISON。そこをね、意識していかないとこれからの出版業界はダメなんじゃないかと思うわけさ。わかんないけど。


まー多少ダメになろうと知ったこっちゃないんだけどさ。おれは自分の読みたい本が読めればいいので、ウンコみたいな本を作っている会社は勝手につぶれればいいと思うし。面白い本はちゃんと届くように影で祈ります。それじゃダメか

読みたい本も読めないそんな世の中じゃ、POISON。俺は俺が読みたい本を読むために出していくOHOH〜って感じで、出版社を志望したわけさ。
そういう身勝手な理由が一番の理由だけど、ちょっとは志めいたものもあって。
まぁ志っていうほどのことでもないんだけどさ。
<面白い本に引き合わせる>ってことがやりたかった(現在完了継続用法)んですよ。


世の中に面白い作品って、それこそ一生費やしても鑑賞できないくらい、たくさんある。俺の場合、幸い(?)にも、高校卒業前後に面白い本にいくつか出会ってしまって、それからかなりのペースで本を買ったり読んだりするよーになったのね。
ただ、悲しいかな、演劇とか、現代美術とかにもそれなりに興味がなくはないのだけれど、そっちはきっかけがなくて……。
面白い作品がある、面白い作品を求めている人がいる、でも、その両者が出会えないってことは、互いにとって不幸なことじゃない? 
で、そういう不幸な二人をうまく結び付けたいんだよ。余計なおせっかいかもしれないけどさ、俺自身、そういう人がいて欲しいって思うんだよ。できるだけ、面白い作品に出会いたいでしょ。ひとつでも多く、面白い作品に出会いたいじゃない?
で、少なくとも、本に関してなら、俺、できるかもなって。まぁ思い上がりといわれちゃあ、思い上がりだけどさ。そのぐらい許せ、こう見えても、若いんだから。


もう、本は出せば売れるっていう時代じゃない。なのに、みんな、「出せばカネになる」と思って、バカスカ出すじゃない? バカスカ出すから、本がポン(ニセモノの本)に隠れちゃって、読者に余計に届かないっていう状態になってる。
それを解消したいんだよ。


で、どうやるかって?
う〜ん。いま思っているのは、信頼できるレーベルをつくるってこと。
たとえば、講談社文芸文庫とかちくま文庫って、そうじゃない?「ちくま文庫に入ったくらいなんだから、面白いはず」とか。でも、講談社文芸文庫は毎月3点、ちくま文庫は10点くらい出るから、物理的に全部買って読むってムリ。
だから、刊行点数はぐっと少なくする。月1冊ぐらいのペースで刊行する。値段は1500円前後にする。文庫でこの値段はちょっと高い感じがするから、新書サイズか新書変型サイズにして、高級感漂う装丁にする。「このぐらいだったら、買ってもいいか」と思うでしょ。
で、内容何かって? ちょっと忘れられているというか、いま新刊として流通していない雑文を中心としたもの。勢いがあった頃の中間小説誌に掲載された雑文のアンソロジー
あと、ノンフィクション。ノンフィクションって、かなりの面白本だって、新刊として流通していないでしょ。
「いま読んでも面白い」本じゃなくて、「いつ読んでも面白い本」を末永く出し続けたいんだよ。まぁ言うは易し行なうは難し、だけどね。
まぁこういうこと考えている人、たくさんいるんだろうけどさ……。